私が愛した京都 とりあえずファイナル [2010年01月18日(月)]
ずいぶん長くなってしまったが、今回で京都編は終了。
結局昨夜は祇園を徘徊し、「眠眠」の餃子を食べて、それから懐かしの「Violon」へ行った。
昔とちっとも変ってなかった。考えれば不思議なもので、一時期大阪に住んでいたことを除けばずっと京都には住んでいたというのに、とりわけ「あの頃」よく通ったところには足が向かなかったんだな、ということがあらためてわかった。誰かの言葉ではないが、青春の残滓なんて近ければ近いほど見たくもないものだ。ということはそれだけ歳をとったということなのだろうか。
いや、そうではないのだが。
帰る日。錦でおせちのネタを少し買って、二条まで歩く。
「ブレッドルーム」のバゲットを買い、藤井大丸の屋上で何もつけずに食べる。クラストはパリパリしてるし、クラムもなめらか。小麦と太陽が口には広がるが、空はあいにく曇り空だ。
クリスマスもいつの間にか終わった。この頃の、なんだかわくわくするような感じは何年経っても嫌いではない。
年が明けて、新年早々、今年は懐かしい人に会う予定がたてつづけに続く。東京に来て3年目。そろそろ歩幅を広げようかなと思う。いつも決まった中で流れるのではなく、今年はできるだけ多くの人と会って、話して、笑うことにする。
BGM
Moonriders
Bizarre Music For You
Posted at 22:53 |
寸止め京都
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私が愛した京都H祇園縄手 [2010年01月17日(日)]
池さんはハイライトを咥えながら長靴を脱ぐ。「ああ、えらいわ、ほんま」と、いつものようにひとりごち。
「今日はオカマの店行ったんかい」と冷やかされたので、「ああ、いきましたよ。海坊主に抱きつかれましたよ」と言うと、「ひっひっひっ」と、砂かけババアみたいな顔で笑う。
「池さん、はよ休みや」と、チーフが眉間にしわを寄せて調理場から顔を出す。「へえ、おおきに」と言いながら池さんはチーフに見えないように、僕に向かってべろを出した。
池さんは年齢不詳、70歳以上80歳未満のやり手ばばあだ。祇園にあった蕎麦屋に住み込みで働いている。お茶屋を改装したその蕎麦屋には2階に住み込み用の部屋がふた部屋あり、そのひとつに妖怪池さんは暮らしていた。店は元々夜の酔客メインの営業だから池さんは午前中ほぼ死んでいる。正午あたりに目覚め、だいたい5本くらいハイライトを吸ってから起きだす。店そのものは昼の数時間も空けているが、池さんは夜の部なので関係が無い。
池さんは自分が妖怪のくせしてどうも2階のお手洗いが怖いらしく、わざわざ1階のトイレを使いにくる。1階には2つトイレがあり、店にあるのがお客様用、奥に従業員および時々ある宴会客用がある。1階のトイレはお客さんが使うということで綺麗にリノベーションされているが、2階の便所は旧式なのだ。
それはいいのだが、昼間の場合手前で営業するので、京都特有の「うなぎの寝床」と呼ばれる奥行きが深い建物で、奥の暗がりから白塗り(池さんは化粧といって譲らないが万人が見ても白塗りだ)のやりてばばあが音もなく股間をおさえて滑るようにして登場するのだから、昼間パートのおばちゃんが何人も「心臓とまりそうに」なってしまったらしい。
夕方僕らがバイトに来る頃には池さんは白い長靴に白いかっぽう着(ズボンも同)、白塗り、白髪という「妖怪白狐ばばあ」の本性を現しながら調理場に立ち、お茶を沸かしはじめる。
そして隙さえあればハイライトを吸う。「池さん、煙草は毒やで。だいたいわしらみたいに食べ物扱ってるもんはあかん。煙草を吸う板前をわしは信用せえへん」とチーフが言う。「へえ、すんまへん。ほんまだすなあ」と頭を下げながら、やめる気配すら無い。
池さんは月に一度、僕らを誘って近くのおでん屋に連れていく。「兄ちゃんら、遠慮せんと食べや」と言っては自分はあまり食べずにお銚子ばかりが積み上がる。僕らは気がねせず食べる。そうせえへんと池さんが拗ねるからだ。
池さんはどうももっと若い頃、大阪の住吉あたりで暮らしていたらしい。何しろ池さんの昔話は大抵嘘みたいな話なので、あまり信用できないのだが、住吉の話はとんかつの話で、とんかつ一番とかいう店の、肉汁したたるぶ厚いとんかつを死ぬまでにもう一度食べたい、という話。これを呑んだときに必ず言うので、いくらなんでもこれはほんまの話やと思う。
住吉なんざ1時間ちょっともあれば行けますやん、と誰もが突っ込もうと思いながら言わなかった。池さんは賄いのきつねそばすら半分も食べれへんのだ。まだ若い頃、肉汁したたるとんかつを「いいひと」と食べたんやろう、その慕情であることがみんなわかっていたから。
池さんはそうしていつもしたたかに酔い、お会計の時には寝息をたてる。僕らはかわりがわる池さんをおんぶし、店の2階に連れていく。池さんの体は軽いけど、狭い階段はなかなかにきつかった。僕らが気がねせず食べたのも、一度も池さんに奢ってもらったことが無いから、である。
時々、本当に時々だが、池さんはさすがに冥利が悪いと思ってか、「兄ちゃん、これで壱銭洋食買うてきて」と、2000円を僕に渡す。祇園縄手角にある「壱銭洋食の店」で、壱銭洋食を買えるだけ買う。店がちょうど暇な時間にみんなでそれをいただく。
時々店に来るクラブの女の子がいて、あまりに可愛いので店をあげて騒いでいて、そんな中、話の流れでふたりで呑みに行くことになって舞い上がっていたら、池さんが怖い顔をして「兄ちゃん、あの娘はやめとき。」と言う。やめときもなにもまだ何もしてへんで、と返すと「あの娘はおでんで言うたら手つかずの大根が好きなだけや」と、酷いことを言う。手つかずの大根って俺のことか?それでもやれるだけええやんかとひそかに考えているとそれを見透かしたか、「ああいう手合いには近づかへんのがかしこいで。長い事生きてる人の言うことは聞いとくもんやで」とさらに釘を刺される。
むろん、ばあさんひとりの忠告なんざまともに聞いてられるわけもなく、うきうきしながらその日を待っていたが結局行けずじまい。ある日とてもおそろしそうな方が店に来て、彼女が店に来ていた時、誰かと一緒だったかとか、そんなことを聞きにきた。みっともない話だが、僕は答えながら微妙にビブラート。頭では冷静なつもりなのに体も微妙にビブラート。
それからすぐに。ある日急にひとりの女の消息がばったりと途絶えた。祇園ではよくある話だ。
すみません、嘘つきました。俺じゃなくてそんな目に会ったのは連れのほうです。
正月になると僕らは少しだけ憂鬱になる。「正月いうんは休むもんや」が持論のオーナーは29日から新年4日まで一週間休むのだ。29日は午前中掃除や冷蔵庫の整理なんぞでみんな出勤し、板前さんもそのまま田舎に帰る。僕らは心ばかりのボーナスを受け取り、どこで遊ぼうかとウキウキする。パートのおばちゃんはすでに家の用事で出てきていないし、出てきた人でも午後からは錦でおせちの買いもんと、予定がある。みんなつらいからふれないようにしているが、池さんだけは行くあてがない。多分、無い。
それでも池さんは少しばかりの荷物を用意して、「姉のところ」だの、「息子のところ」だの、言っては誰よりも先に「それでは失礼します。皆様、本年もたいへんお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします」と頭を深々と下げ、店をあとにする。
僕らはみんな店の外に出て、ひょこひょこと歩いていく池さんを見送る。
池さんは一度も振り返らない。
祇園を歩くと、特に夜の祇園を歩くと、ほんの1年くらいのことではあっても、この街で働いた頃のことを濃密に思い出す。強烈なオカマ、ピンサロの女たち、芸能人、女の子に貢ぐためのチーズケーキ、喧嘩、花、音楽、闇と光、表と裏。
隣の呑み屋でバイトしていた女の子たちとは何度か遊んだものだ。先方は女子2名、当方は男子3名。MKボウルや、ビリヤードをやりに行ってた。僕らの店はなくなってしまっていたけど、その呑み屋はまだ営業していた。
「壱銭洋食の店」の前を通ると、あの頃はまだ俺と同じくらいの、若かった兄ちゃん、当時は親爺さんがまだまだ中心だったので、脇で焼いていた、その兄ちゃんが、かつての親爺殿の立ち位置で、焼いていた。
顔にはしわもあり、年を重ねていた。俺はなぜだかちょっと嬉しくなった。
あの頃、おかもちを持ちながらしょっちゅう買いにきて、そのたびに立ち話をした。常連の店にそばを持って行く時についでに壱銭洋食を頼まれるからだ。それが祇園ルールだ。
俺は兄ちゃんの前に進み、壱銭洋食を1枚頼んだ。兄ちゃん、今はもう親爺さんは俺のことは思い出さず(まあ、そうだろう)、当時とあまり変わらない営業スマイルで、「あいよ」と言った。
BGM
BUD POWELL
52nd.st.theme
Posted at 22:20 |
寸止め京都
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私が愛した京都G祇園石段下 [2010年01月11日(月)]
学生の頃、いろんなバイトをやった。一番おいしかったというか楽しかったのは神戸のイベントのバイトだ。婦人服のワールドのバイトで、女性限定の大バーゲン。見本市会場を借りて、入場制。中の服はオール試着フリー。俺は友だちとふたりで行き、男だから最初は場外整理の任務についた。糞おもしろくもない仕事だ。ところが1時間ほど経つと社員らしき人に呼ばれ、場内整理にまわってほしい、と言われた。あまりお客さんのほうをじろじろ見たらだめだよ、と念を押された。作業そのものは単純だ。試着されまくって袋から出ている服や床に落ちてるもの、値札がとれてしまったものを回収したり、違うワゴンに放り込まれている服を元に戻すため、いったん回収する作業だ。宅急便屋さんが使うような手押し来るまでゆったり場内を回り、地味にそれを続ける。あまりおもしろそうではない仕事だ。
が、場内に入ると俺らの目は点になった。ご婦人たちは素早く試着をするためか、ご自分の服をクロ―クに預け、下着で闊歩なさっているのである。試着室が圧倒的に足りないのだ。もちろん、すべての人ではない。基本的にはおばちゃんだ。見たくもないものがほとんどながら時々お宝がある。20代か30代のこまたのきれあがったような女の人が堂々とブラ・パンティーでお歩き召されている。おおっ・・・俺と連れは思わず文字通り棒立ちになる。女の人は試着したばかりのシャツやブラウスを俺らの車に放り投げる。数年前までは間違いなくヤンキーだったに違いない。10代の女の子も母親にかくれるようにスカートをはきかえているが、可愛いお尻の熊柄が丸見えだ。確かに場内にいる男は俺らと、もうひと組、計4人のバイト君だけだ。俺たちは男として認知もされてないようだった。場内は女の体臭と熱気でむせかえるような・・・と書きたいところだが、ホールが広かったためか、さほどでもない。あれはすごい体験だったなあ。
それから、とても印象深いのは、うどん屋でのバイトだ。当時俺がバイトしていたのは桂の国道沿いにあったうどん屋で、ここでもいろんな体験をさせてもらった。俺は学費をかせぐために深夜のバイトをしていたから、夜の0時を過ぎたあたりでの「水商売、酔っ払い、ヤ*ザ」という三種の神器が主なお相手になる。
俺も図体がでかいし、鼻っ柱も強かったので、何度かお客で来ている旅の者と喧嘩をした。一度は警察沙汰にもなった。でも俺のまわりには元神戸の有名な暴走族でアタマだった人(俺はこの人のことを「兄貴」と呼んでいた)、某広域暴力団舎弟頭の実弟、吉祥院の改造車野郎、昔人を刺したことがあるという噂があるもののいつも黙々とネギを切っている**さん、など、つわものが揃っていたので、ちっとも怖くなかった。
そのうどん屋の本店が祇園石段下にあって、毎年大晦日は朝の4時過ぎまで営業するのである。京都では「おけらまいり」といって、紅白を見たあと、除夜の鐘を聞きながら八坂神社へお参りし、御火を吉兆縄に頂き、消えないようにそれをくるくる回しながら帰り、元旦の雑煮を焚くためにその火をおくどさんにくべると、その後1年無病息災になるという庶民信仰がある。
実際はほとんどの家に窯はないし、電鉄(ちなみに関東では**鉄道、関西では**電車という言い方をする。阪急だけはハイソな感じを出そうとして電鉄と名乗っている)各社も社内持ち込みを禁止しているから家まで持って帰る人は少なくなっていると思う。
ということで大晦日から元旦の早暁にかけて、八坂神社はとんでもないことになる。石段下にあるそのうどん屋でも「年越しそば」をふるまっている。ふるまっているといってもそこはハレの日のそろばん勘定を熟知している京都商人がやることゆえ、結び昆布と梅干し、祝い蒲鉾、湯葉と海苔がぺろっと1枚入っただけの「祝いそば」が1600円という値段。
ひえ〜っとなるが、これが飛ぶように売れるのである。で、休みの桂店スタッフ有志に召集がかかる。俺は友だちと和歌山のほうに行くことにしていたのでいつも断っていたがある年、どうしてもと請われて断り切れずに参加した。明け方までやって、寝ずに友だちに迎えにきてもらって車で湯村温泉へ、というスケジュールだった。だりぃな〜早く温泉つかってゆっくりしてえなあと思っていた。が。
本当に目の回る忙しさだった。最初は紅白を見ながらまったりしていたが、9時を過ぎるとぼちぼち混み始めた。10時頃、祇園店のチーフがのっそりと調理場から出てきて表に出る。戻ってきた彼は低い声で「来るぞ、おまえら」と言う。
そして、嵐がやってきた。
メニューは1種類のみ。酒も出さない。晦日そばかうどんのみ。調理場にはふだん多くて4人なのに9人もひしめきあっている。店の外に3人、ホールには俺を含め5人。こんな重装備で何やねん、と考えていた俺はそれがしごくまっとうだったことにすぐ気付かされる。
12時まで、休む間もなく。なぜこんなに忙しいのか?とよく見ると、誰もかれもが食べてないじゃん。残してるし。不味いから?でも1600円も出しておいて残さないだろう。ベテランの**さんに聞くと、「ええとこ気付いたな。そりゃまずいからや」と笑われる。
本当は「気がせいている」ということらしい。確かに店の外は警笛の音、車のクラクション、神社の拡声器の案内音、ざわめきで相当ににぎやか。さらにひっきりなしにお客さんがドアを開けたり、外の店員が「**人お待ちです」と叫ぶものだから、落ち着いて食べれないのだ。だから回転は尋常ではない。
「休めへんでえ!きばりや」とチーフが叫ぶ。桂のチーフが「こんなもん、ふだんと一緒やないか」と返す。桂は本店よりいつも売上がいいのだ。1年でたった1回だけ、大晦日のみ祇園に負けるので、それが悔しくてたまらないので、こんな忙しさは俺たちふだんからこなしているわい、と言いたいらしい。
0時を過ぎるとさらに巨大な波が襲う。それが閉店直前まで続く。へとへとになる。腹ペコだし、のども乾いている。4時頃になると祇園店のチーフがのっそりと調理場から出てきて表に出る。戻ってきた彼は低い声で「しまうか」と言う。
それではじめて外に出る。少なくなったものの、まだ人は結構いる。見ると店長が神社の石段を下りてくる。手に吉兆縄を持っている。いつの間に。しかも微妙に酒くさい。あんた、どこに行ってたんや?
そして朝4時半頃。かたづけを終えたホールにこも樽が持ち込まれる。そして瓶ビール。何より目をみはったのはおせち料理。職人さんが作ってくれた特製のおせちだ。まずはみんなで神社にお参りし、そのあと店に戻ってきて、みんなで鏡割りをし、枡で呑み交わす。おせちも美味しい。売り上げが読まれる。すげえ。歓声が上がる。みんなが破顔一笑しながら呑み、食べる。充実感に浸りながら酒が沁みる。外が明るくなるまで酒宴は続き、俺は友だちに迎えられ、店をあとにする。
この時の楽しさが忘れられず、俺はきっと小さな世界での充実感を求める方向に舵をきることになったのだ、と思う。
BGM
Katuhiko hida
Kimiyo siruya minamino kuni
Posted at 21:44 |
寸止め京都
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私が愛した京都F百万遍 [2010年01月10日(日)]
京都に住んでいると節分というものが大きなイベントであることが身にしみる。
元々関西では恵方巻きといって巻き寿司をかじる習慣があり、今では全国的に浸透しているわけだが、京都ではもっと細かな行事がある。俺はよく関東の友人たちから「いつ京都に行くのがいいか」と尋ねられたのだが、いつ、というより、季節ごとの庶民の行事に合わせて訪れるのがいいと答えていた。祇園祭はまだしも、葵祭とか時代祭りなんてものは京都の人でもあまり見ないものだし、年末とか節分、お盆、花見の季節。そんな時期がいい。
中でも節分の頃は大抵雪が降り、他の季節と比べて観光客も少ないから「しっぽりと」京都を味わいたい方にはお薦めだ。
節分といえば吉田神社だ。東大路丸太町、いわゆる聖護院から吉田神社界隈は節分の日、かなりにぎやかなこととなる。熊野神社や須賀神社ではお菓子がふるまわれたり、懸想文売りが現れたりする。ふだんは静かな神社もお祭りということで灯りをともしたりする。大通りは車も混んでいるし人もわんさか。その喧騒と、ふりしきる雪と、裏道の幽玄さとがたまらなくいいのだ。毎年ここからスタートして山道をあがっていくのが俺たちの節分参詣コースだ。
金戒光明寺から吉田山荘、宗忠神社、真如堂あたりは本当に好きな道だ。そういえば真如堂にはここ数年女性客が増えているらしい。
もともと女性の神さんとして知られてるし、ご本尊の阿弥陀如来は「うなづき弥陀」ともいわれる美しいフォルム。ただ最近ではゆかりのある安部清明ファンの訪問が多いようだ。毎年夏に「虫払会」が行われ、その日に参詣すると安部清明が閻魔さまから授かった五芒星の印鑑を希望すれば額に押してもらえるイベントもあり、ファンの人にはおすすめだ。
成り行きで年末から京都のことばかり書いている。もう新年ははじまったし、仕事もスタートしている。やることはいっぱいで、正直気持ちはずるずると昔話を引きずりたくなかったりするのだが、一部の方から何気に好評な「寸止め京都」シリーズなので、もう少し続ける。リアルな俺はスイッチ切り替わってますから、ご心配なく。そういえば今日は十日戎の日ですな。元の店の子らは連れだってお参り行ってるんだろうな。
吉田神社の大元宮もおもろい神社で、全国の式内神3132座が祀られている。ぐるりと回り、自分に関係のある神様にお参りする。静岡県、とか高知県、とかなっている。不遜ながら神様によって積み上げられた賽銭の量が違って、俺はここにお参りするたび、今年の最下位は何県やろ?と、罰当たりなことを考えるのであった。
下っていけば参道に夜店が出ていて、鰯を焼いたのんやら、玉こんにゃく、ソバなんかを食べる。恒例のにごり酒「ふじちとせ」もはずせない。
ふりしきる雪。射的なんぞもからかいつつ、すっかり冷え切ったあとはそのまま呑み屋へ。京都の若者は贅沢だよな。こんなふうにして集まって酒が呑めるのだから。
百万遍。憧れの町。京都大学は憧れだった。まつお、白川製パン、知恩寺、アテネフランセ、西部講堂、YAMATOYA、どの場所も愛した。
中でも「進々堂」だ。
学生の頃、京都在住の仏文科学生N(基礎ゼミが一緒だった)と、その仲間数人とで、定期的に日曜の朝集まってはいろんな話をした。テーマは主に演劇、映画、文学、それになぜか「フランス」(笑)。
まあ、そういうことがしたかったというだけで、本質的に俺はアナクロで勤勉な書生体質だからねえ。そもそもは俺がかなりミーハー的なノリで、「ピカビアやコクトーみたいなのがやりたい」という、なんとも軽はずみなところから始まったものだから。
暖かい日には中庭の席で。そのほうが居座れるから。京大の学生や教授が長い時間本を読んだり翻訳をしたりする場所でもあるから、店の人も細かなことは言わない。ゆっくりと時間が流れる。カレーもラ・メールも美味しかった。高校時代の友だちもこの店をこよなく愛し、京都へ来るたびに通ったものだ。
すっかり日が暮れてきた。荒神口に出て、「hohoemi」で朝用のパンを買う。寺町、二条を抜け、女房に頼まれた「ジュバンセル」の「竹取物語」を買う。彼女はこれが好物。確かに美味しいと思う。会社に土産をどうするかなと考えるが、年末のあわただしいところへ持っていくのもなんだかなあ、と思い、やめておく。
昔住んでいたあたりをかすめながらホテルに着き、チャーリーを返す。ああ、とても楽しい一日だった。
さて、次は夜の部だな。
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HELEN MERRILL
With Clifford brown
Posted at 22:31 |
寸止め京都
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私が愛した京都E一乗寺、高野 [2010年01月09日(土)]
前回よりの続き
あきらめきれずに元・店のあった場所を行ったり来たりするうちに天啓のようにひらめいたことがある。以前ラーメンを食べている時、店の人がこう会話をしていた。「野菜が足らなくなって」「長谷さんにまた持ってきてもらわな」・・・そうだ、少し先にある長谷食品という生鮮食品店から仕入れていたから、そこに聞けばわかるかもしれない。少し歩いて長谷食品に行く。な、ない・・・。ここまでふられるとは・・・と思って角を曲がると何と長谷食品は目新しい店にリニューアルしていた。たかがラーメンのことでどうしてこのような情熱をこの人は持つのか?と呆れている人もいるでしょうが、別にラーメンに限ったことではありませんので。興味を持ったもの、好きなものは納得しておきたいので。
おじさんに聞くと「ああ、それやったら寺町夷川上がったところやわ」と即答される。ホッとして、「移らはったんですねえ」と言うと「昔からずっとそこやで」。釈然としなかったが、きっとおじさんが勘違いしてるんだろうかとか、この人は最近ここで働き始めたんだろうな、などと都合のよい解釈をして、とりあえず寺町夷川に向かって早足で歩きだす。
行ってみるとそこにあったのは「新進堂」という有名なパン屋で、確かにここはずっと昔からあったよ、おじさん。・・・・もうひと確認が足りないのも俺の欠点だあ。
しかし、である。「新進亭」には実は支店があり、それは高野にあるのだ。まあ、それは知っていたし、以前一度だけ行ったこともある。あくまでも二条麩屋町の本店が好きなのだが、背に腹は代えられない。
というわけで俺は高野に向かっている。ここで前々回と話がつながる。実はすでに昼飯に「親爺」のラーメンを食べてしまっているが明日はもう来られないからしかたがない。2杯目のラーメンとなる。
高野といえば思い出がある。カナートの近くに小さな喫茶店があり、23歳の頃、その店を買って一緒にやらないかなんて話があった。
どういうことかと言うと、ある女の子の紹介でとある喫茶店の雇われマスターをしていた時期があり、その女の子はとある珈琲会社にゆかりの深い人で、いい条件で売りに出すというその喫茶店を一緒にやらないかと声をかけられたのだ。
店は普通の喫茶店だったが、俺はJAZZ喫茶にしたいと思っていたし、彼女は冷静にカナートに来る昼間の主婦層をどう取り込むかなんてそろばんをはじいていた。ちょっとした夢を見れた。
だが事態は思わぬ方向に進み、彼女は離婚することになり、元旦那のほうが珈琲会社の役員だったことから話はおじゃんになってしまった。俺は傷心の彼女の引っ越しを手伝い、その小さなアパートで消えてしまった夢を残念がった。
俺は間もなく雇われマスターをくびになり、彼女は故郷に帰った。高野のその店は結局クリーニング店になった。
なんとなく幸福は静かにやってきて、結局はするりと俺の手から抜けていく。多分俺に問題があるのだろう。幸福が訪れそうな、たとえば何かが始まりそうな、そんな時がいつでも好きだから。始まってしまえばどこかで終わりを考えてしまうから。
これが白味噌ラーメン、だ。変わらぬ美味しさだけど、本店に比べて、これは以前食べた時にも感じたことなのだが、熱さが弱い。原因は多分、こちらで作っているのがおばさんだからだと思う。おばさんは手練れてるがゆえにちょうどいい按配で仕上げる。本店のじいさんは作っているうちに熱くなるのだろう、鉢が持てないくらい熱々で仕上げるのだ。男の馬鹿らしさが料理に反映されていて、俺はとてもそういう遊びが好きだ。
きちんと仕上げてくる女の料理は隙がない。世界平和の味だ。ラーメンは、でも、勇ましかったり遊んでるほうがいい。そこが惜しい。あと少し熱ければ大満足なのだが。
「新進亭」がある高野、一乗寺はラーメン激戦区であり、他に行列ができる今風のつけ麺屋もあるし、今後商売として成り立つのか心配だ。できるだけ続けていてほしい。
一乗寺ということで恵文社に行く。周辺にオーガニック珈琲店などもでき、ああ、その手の人が集まってきてるんだな、とよくわかる。元々は百万遍あたりがそういう雰囲気だったが。
恵文社は市内にいくつか店があるが一乗寺店は独特のコンセプト。独特といっても本そのものを「集める」キーワードとしては凡庸だと思う。選書とカテゴライズなら俺のほうがよほどいいものを作る。ただ、ここには女性のセンスがかなり濃厚な成分としてあり、雑貨的な集積が特色だと思う。そこは俺にはお手上げ。そういう本以外のもの、ライフデザインとしてのツールが人気の肝なんだろう。あとは鳩山郁子に代表されるような豆本、蔵書票、ブックカバー、など本にまつわる冒険空間作りは上手だ。
店のランドスケープはこうしたところで決まるわけで、ここでも書棚というのは重きをなしていないということになり、そこは個人的に残念に思うところ。でもこういうイメージ、風景としての書店店内、というわかりやすさにファンがつく、というのも当然。そこは楽しい。
なんとなく三浦しおんの「秘密の花園」文庫版を購入。ゆるやかな廃園のような店にて。
さあ、残り時間も少なくなってくる。一乗寺下がり松近所の「こせちゃ」をのぞくが時間が遅いのであらかたパンは売り切れ。明日朝のパンをどこかで確保しなければ。
「ガケ書房」。おもしろい店だ。自己完結していないあり方が正しいと思う。あとはお客さんがつくかどうかだな。商売として危うさは感じるが、こういう店の灯が消えればそれこそ京都も終わりだろう。それにしてもだ。俺にこういう店を作らせろ。金はないけど才能はあるぞ。ふう・・・。
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SANTANA
Abraxas
Posted at 22:50 |
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私が愛した京都D二条麩屋町 [2010年01月04日(月)]
24日の夜、妹の家に行く前にどうしても行きたい店があった。二条麩屋町、ラーメンの「新進亭」だ。
もともと丸善の近所にあったらしいが、その頃のことは知らない。二条に移ってからは足げく通った店だ。どのくらい好きかと言うと四条の書店で勤めていた時、昼の休憩時間にジュンク堂に停めていた原付に飛び乗り、食べにきたくらいだ。週に2回は通った。御池に住んだ時も「通いやすいからやろ」と、事情を知る友人からからかわれたくらい。大阪に転居してからも京都に来ることがあれば時間の許す限り立ち寄ったくらいだ。
もっともこの店は非常に攻略しづらい。まず営業時間が短く、夕方には閉まってしまう。しかも店主の爺さんがマラソンに熱中していて、大会前後は結構休む。臨時休業が多いのだ。俺も何度も店の前で「ガーン」となったものだ。そうなると余計に食べたくなるのが人情というもの。
この店で俺がこよなく愛するのは白味噌ラーメンと炒飯のセット。炒飯はヤキメシというほうが近い。和風のヤキメシで、刻んだニンジンと挽肉の食感がたまらない。上にかかった青のりの風味もさわやか。いくらでも食べられるヤキメシだ。これを食べるだけでも美味しいのに、ラーメンがまた大好物だ。
とはいえ好みが分かれるのも事実だろう。俺はもともとつけ麺よりラーメン派で、中でも野菜のうまさを堪能できるタンメン系が好物で、豚の臭みやとろけるチャーシュー、ちゃっちゃっ油などにそれほど重きを置かない。うまいとんこつラーメンは好きだが、だいたい麺道とか言われると面倒に感じるほうだ。ラーメンよりチャンポンが好きだしね。
麺はストレートの中太。俺はかためであげてもらう。スープは比較的シンプルな作り。ニンジンや玉ねぎなど野菜を煮込んだスープととんこつ、鳥ガラを組み合わせたもの。鳥ガラが強いので、あっさりベースだ。
問題の白味噌は特注品。京都ならではのおいしい白味噌に、醤油、ニンニク、しょうがなど10種の食材を混ぜて丹念に作ったもので、だから家で市販の白味噌を使って作っても真似できないんだよね。白味噌なんて甘過ぎてラーメンに合わへんやろ、という先入観は少なくとも吹き飛ぶ。確かにこのラーメン、全体的にまろやかな味である。チャーシューはモモ肉を薄くスライスしたもので、かなりあっさりしている。最近のラーメンのチャーシューを想像すると「これ、市販のハムちゃうの?」と思うほどのもので、特筆すべきものではない。が、実はここにもちょっとした秘密がある。
だいたい麺の量も少ないくないのに、その上に盛られた具材がたまらない。モヤシと玉ねぎ、挽肉をふんだんに使って炒められた野菜炒めが山盛りでのる。この野菜の食感がたまらなく俺は好きなのだ。そして挽肉がある程度油っこいので、ここで淡白なチャーシューとの相性がいい感じになるのだ。仕上げに添えられた一味のピリっとした辛味まで含め、まさに隙のない、唯一無比の白味噌ラーメンが出来上がる。
何度も言うが俺は好きだが、何も感じない人もいる、と思う。野菜の甘味、特に玉ねぎの甘味にこだわる人や、どうも味噌ラーメンは酸っぱくてねえ・・・という方にはぜひ食べてほしい。
ちなみにこの白味噌ラーメンの他にもチャンポン、チキンラーメン、ヤキソバなども美味しい。常連の隠し玉、白味噌チャンポンもある。が、これは贅沢すぎて罰が当たる。
ところが、である。重大な問題が発生した。
いそいそと夕方の5時前、ギリギリセーフかと思い勇んで店の前に立った俺が見たものは目新しいマンション。??????!!!!!な、なくなっている!
なんということだろう。もう何軒も見送ってきたというのに神はこのうえ俺から「新進亭」まで取り上げるというのか!?
どうしてもあきらめきれない俺は店の前を何度も行ったり来たりするが、ないものはない。
本当になくなってしまったのか!?
以下 続く
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Johnny smith
Moonlight In Vermont
Posted at 21:50 |
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私が愛した京都C下鴨 [2010年01月02日(土)]
五山送り火で有名な大文字山。俺はむしろ新緑の頃の大文字山を愛する。出雲路橋から眺める風景は和む。犬を散歩させている人、楽器の練習をしている人、バトミントンに興じる女の子たち。賀茂川の流れは涼しげで、水鳥も。俺がまだ大学生の頃にはこのあたりでは友禅染が行われていて、反物が洗われていたものだ。東京の風景と聞かれてなぜかお茶の水の聖橋を浮かべてしまうのだが、京都の好きな風景と尋ねられたらこの風景を答えてしまうかもしれない。
出雲路橋あたりは子どもが好きなところで、というのも橋を渡ってすぐのところにある「加茂みたらし茶屋」のみたらしだんごが好きだから、であった。
黒砂糖と葛粉のタレが絶妙で、なんとこれは後醍醐天皇も愛した味だというのだから驚く。ちなみにみたらし団子の出張販売はいただけない。百貨店の物産展なんかで並んで食べるものやあらしません。ちょっと食べるのがいいのだ。この団子も店で買うのではなく、裏の工場(といっても職人さんがひたすら団子をこしらえているだけの作業場)で、「ちょうだい」と言って1〜3本買うのがいいのだ。200円か300円払えばいいのである。
ちなみに出雲路橋を渡らずに出町の方に下がると出町の商店街があり、ここにも豆もちの「ふたば」がある。ここはこどもどころか女房も好物で、時々お土産に買うと喜ばれた。大抵地元の人で行列ができている。これも作りたてが美味しいから、買ってその場でほおばるのが正しい。この先には伊勢丹では行列ができる「阿闇梨餅」も普通の食品店で買える。「野呂漬物」も非常に美味しい。
猿田彦神社から梨の木通りを経て御所脇。ここには梨木神社があり、俺はここの静謐な雰囲気が好きだ。
染井の井戸といって美味しい水もある。学問や文学の神様で、幕末ファンとりわけ長州びいきには有名な三条実美公を奉じている。この梨木神社界隈には素晴らしいものが多い。紫式部の花散る里の屋敷跡。節分の鬼法楽で有名な蘆山寺。何より御所。ちょうど梨木あたりには「母と子の森」という広場があり、そこには「森の文庫」といって野外図書館がある。2〜3段の本棚のポストだ。梨木神社近くのカフェではよく本を読んで時間をつぶした。4回生の頃、この近くの歴史資料館(そうです、俺の専門は日本近世史です。つまり、織田信長から幕末まで)に論文のため日参していたから、そのついでに良く来ていたのだ。
好きが嵩じてこどもの名前に引用したりしてね。
と、脱線した。出雲路から下鴨神社へ。糺の森だ。「暗夜行路」だ。
京阪の出町で下り、糺の森から下鴨神社へ。これはなかなかいいコースだと思う。ここに来ると「山紫水明」という言葉を思い出す。緑の濃い場所。小川もいくつか流れていて気持ちがいい。夏には古本市もやっている。こどもはどんぐり拾いで大忙し。父は古本を物色。森が濃いから午後には気をつけないと、冥界から手が伸びる。あわてて退散する。
下鴨神社内の相生社は縁結びの神さん。ここのおみくじはゲストに好評。男子用は束帯、女子用は十二単形。
下鴨神社といえばみたらし祭り。土用の丑の日。境内にある御手洗池に足をつける神事で、暗くなってからは手に持つろうそくの火が揺れて、なんとも幽玄な雰囲気に包まれる。水にもゆらめいて。
さる縁があって、一時期清水近くで窯を持つ陶芸家と付き合いがあった。その人は「たち吉」にも作品が並ぶほどの人で、京都の陶芸界ではそれなりに成功した人だと思う。家元の信頼厚いたち吉お抱えの陶芸家ということであれば京都では安定した陶芸活動が約束されているだろう。
陶芸というものにそれほど含蓄があるわけではないのだが、俺はもともと民芸としての陶芸が好きであり、柳宗悦とかバーナード・リーチの作品を「文学」的に嗜好するという立場であった。中でも河井寛次郎には相当影響を受けた。清水下に彼の記念館があり、よく行ったものだ。仕事に悩み、人生に煩悶していた頃、「仕事が暮らし 暮らしが仕事」という、シンプルでいて力強い彼の書に心を震わせたこともある。そんなものとは対照的な位置にいる人でもあった。どうも世の中というのはそういうふうにできているらしい。思索的な本質で立ち止まる人より、うまく立ち回ったものが力を得るのだ。そしてどうも俺は多分うまく立ち回れる力を持ちながらどこかでそれをバカバカしいと思っているらしい、そんなふうなことを気づかせてくれた人だった。
その人に気にいられながら、俺はその人の話を真摯に聴きながら、まったく感銘を受けなかった。元来何かを創造する人は俺の中でまず尊敬に値するのだが、その人の作品も、言葉も、本当に何一つ響かなかった。もうひとり俺は陶芸家の卵ともいえるIさんという人と付き合いがあったが、Iさんの話や所作、箸袋に書いたいたづら書き、そんなものには胸が熱くなったというのに。そしてもちろんIさんの作品は一部のファンを除いてはいわゆる権威には相手にされてなかったし、その人の作品はたち吉やいくつかの家元に贔屓にされ、百貨店の催事で作品展もするほど、ようするに権力があったのだ。俺の嗜好だと言ってしまえばそうなんだが、俺がそのふたりを自分の中で明確に分けてしまったのにはもうひとつ理由がある。
Iさんともその人とも何度か呑んだことがある。回数でいえばIさんが圧倒的に多い。Iさんのほうはあまり意識してなかったと思うが、俺は一時期Iさんに生き方を学んでいたという意識があるから。
Iさんは「赤垣屋」や「めなみ」、ちょっとしたおでん屋、おばんざい屋などを好んだ。錦で買って家で呑むことも多かった。伏見の酒の口切にはわざわざ示し合わせて出かけたし、雪がつもれば山荘で「おでんJAZZ」(これについてはいずれ書く)をやった。ささやかなもの、野趣に富み、季節を愛で、お金はそこそこ、という呑み方で、これは俺にはすこぶる居心地がよく、共鳴できた。
対してその人が選んでくる店は「幾松」や「ブライトンホテルの割烹」や「順正」だったりした。ようするに高い店だ。しかも不味い店だ。一流ならもっと高くて、でもさすがに美味しい店が山ほどあるのに。俺にはもったいぶっておいてまずいじゃんか、としか思えなかった。
下鴨神社裏の「蕪庵」という広東料理店もそんな店のひとつだ。ここはその人のお気に入りで何度か連れていってもらった。京都によくあるお座敷中華の店。見事な庭園を眺めながら静かにコースを頂く。ロケーション、セレブ感、おしのび感。建物や庭の雅と、形だけは申し分のない店だ。きっと観光客をここに連れてくれば「こんなところもあるのね」なんて感心されると思う。
でも、美味しいとは思えない。味が薄いというより、淡い気がする。しかも奢ってもらってなんだが、コースのみの料理は値段も張る。
俺がもっと陰謀体質なら、きっとこういうロケーションを最大限に使えるのだろう。「今度の催事やけど、わし波をテーマにした器を焼こうと思うとるんやが、どう思う」「先生、先日たち吉の専務はんと祇園でばったり会いましてな、***の部長さんとご一緒でしたえ」「ほう、***言うたら心斎橋に店出すそうやないか」「そうでしたか。そうなると」「波は浪速ちゅうことやな。ほう、ええこと聞いたわ。ま、このふかひれうまいで、食い」てな具合に・・・・・?
しょーもない妄想はこのへんで。「宝泉」は隠れた名店。「蕪庵」と似たコンセプトながらこちらはものが和菓子ゆえ、値段は抑えめ。といってもわらび餅は800円する。それでも座敷で庭を観ながらゆっくりと和菓子を味わえるし、しかも美味しいのだ。和三盆の美味しさを識別できる舌をお持ちなら、堪能できるだろう。賀茂みたらしやふたばの豆もちのほうが俺にはごちそうではあるが、ハレの日にはこんなところでまったりと和菓子を頂くのも楽しいと思う。
さあ、次は高野から一乗寺へ。俺が愛したラーメン屋と書店が待っている。
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Posted at 23:03 |
寸止め京都
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